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【真相】織田信長の墓はどこにある?たくさんあるけど本物は?

今回のテーマは、織田信長の墓について!

「信長の墓って、どこにある?」

「一体いくつあるんだ?」

「本物はドレ?」なんてお話。

信長の墓の話って、けっこう色んなところで聞きますよね?

京都だけでも、ここも?あれ?ココにも?なーんて・笑

そこで、信長の墓の数を細かく調べてみたら…なんと、ただの供養塔を含めたら全国に20ヶ所以上!

しかも、遺体が見つかってない事もあり、どれが本物の墓なのか、よく分かってない部分があります。

そこで、今回はとくに有名な信長の墓を7つ紹介しながら、その辺の謎に迫ってみたいと思います。

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ヨシ

3分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。


目次

京都にある信長の墓

織田信長の墓は、じつは京都だけでも5つぐらい存在します。

そのうち、とくに有名なものを3つ紹介します!

一番有名なのはやっぱり「本能寺 信長公廊」

一番有名なのはやっぱり「本能寺 信長公廊」

織田信長の墓で一番有名なのは、なんといっても本能寺の信長公廟でしょう!

本能寺はご存知のとおり、信長が最期を迎えた寺。

その寺に、三男の信孝が、信長の太刀3本を納めて建てたお墓が信長公廟です。

本能寺の場所は、秀吉の命令で移転されてはいますが、信長公廊は今も本堂の裏にひっそりと佇んでいます。

墓所名 本能寺 信長公廊
所在地 〒604-8091 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522

信長のために秀吉が建てた「大徳寺総見院」

大徳寺総見院 木造織田信長公坐像
※画像出典:特別公開箇所詳細|【京都市公式】京都観光Navi

大徳寺総見院は、豊臣秀吉が信長の菩提を弔うために建てたお寺です。

ボスの葬儀や法要を仕切る者が、次のボス!そんな不文律があった戦国時代。

秀吉が信長の後継者であることを広く世間に知らしめるため、壮大な1周忌法要を執り行った寺です。

信長の遺体が見つからなかったこともあり、織田信長の木像が安置されています。

墓所名 大徳寺総見院
所在地 〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町59

本物の呼び声高い「阿弥陀寺信長公本廟」

本物の呼び声高い「阿弥陀寺信長公本廟」

信長の墓で、一番本物に近いのはどれ?っと言われれば、この阿弥陀寺かも?

寺伝によると、信長と懇意にしていた清玉上人が、信長の遺体(遺灰)を隠れて運び出し埋葬したそうです。

寺内には、信長の墓の他にも森蘭丸・力丸・坊丸3兄弟や、本能寺の戦死者100名以上も一緒に葬られています。

信長の命日6月2日には、毎年信長忌という法要が行われ、信長・信忠親子の木像が公開されています。

墓所名 阿弥陀寺「信長公本廟」
所在地 〒602-0802 京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14

信長の首塚伝説が残る「西山本門寺」

信長の首塚伝説が残る「西山本門寺」

じつは、信長の遺体を持ち出したという伝承が残るお寺が、もう一つあります。

それが静岡県にある、西山本門寺!

寺伝によれば、18代住職の日順の父である原宗安が、織田信長の首を西山本門寺まで持ち帰って、そこに柊(ひいらぎ)の木を植えたんだとか。

その柊の木のは横には「信長公首塚」の石碑が建てられ、今でも首塚として祀られています。

また、原氏に伝わる文献「原家記」にも、同様の記録があるそうです。

墓所名 西山本門寺「信長公首塚」
所在地 〒419-0313 静岡県富士宮市西山671

信長の遺歯を弔う「西光寺」

信長の遺歯を弔う「西光寺」
※画像出典:「安土宗論」をめぐる

近江八幡にある西光寺にも、信長の墓があります。

さすがに生前信長の命によって建てられただけあり、かなり大きなお寺です。

この寺の境内に、案内板もなくひっそりと建っている五輪塔が、じつは信長の墓!

一見単なる供養塔にも見えますが、実はしっかりお墓のようです。

あの阿弥陀寺から分骨した、信長の歯(遺歯)を埋葬していると言われています。

墓所名 西光寺
所在地 〒523-0894 滋賀県近江八幡市中村町726

信長の分骨を弔う「瑞龍寺」

信長の分骨を弔う「瑞龍寺」
※画像出典:瑞龍寺の石廟|富山の文化遺産

信長に仕えた前田利長の菩提寺、瑞龍寺にも信長の墓があります。

本能寺の変の後、利長は織田信長・信忠親子の分骨を迎えて、秘かに菩提を弔っていたそうです。

じつは、利長の正室「永姫」は信長の娘!

奥さんと一緒に、義理の父親に祈りを捧げていたようですね。

そして、この利長が亡くなった時に、信長・信忠親子の遺骨も一緒に、菩提寺の瑞龍寺に葬られたそうです。

墓所名 瑞龍寺
所在地 〒933-0863 富山県高岡市関本町35

数々の戦国武将を祀る「高野山奥の院」

数々の戦国武将を祀る「高野山奥の院」
※画像出典:高野山・奥の院の織田信長墓所|和歌山経済新聞

そして最後が、高野山奥の院!

ここはもう、数々の戦国武将の墓があることで有名ですよね?

織田信長や豊臣秀吉、徳川家康をはじめとして、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗etc.

もちろん、明智光秀のお墓もあります!

お墓と言っても、供養塔のような感じにはなるのですが…

全長2kmにも及ぶ墓の数々、本当に壮観です。

墓所名 高野山 奥の院
所在地 〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町大字高野山550

まとめ

さてさて、いかがでしたでしょうか?

冒頭でも書きましたが、信長の墓はここでご紹介した他にも、さらに10ヶ所以上!

しかも、遺体が見つかってないうえに、色んな伝説や口伝が飛び交っています。

なかには信長は本能寺で死なず、バチカンに行った!なんて伝説まで…。

これじゃ、本物がどれか分からないのも納得ですよね?
(;゚◇゚)ナルホド!

でも、注目なのはやっぱり阿弥陀寺かも?

豊臣秀吉が大徳寺で、信長の葬儀をする際、阿弥陀寺に遺骨を渡すように頼んだんだそうです。

でも、阿弥陀寺としては、遺骨が後継者争いの道具になるのを嫌い断りました。

その結果、遺骨のない秀吉が仕切った葬儀は、信長の木像を作って火葬!という不細工となり。

阿弥陀寺は、大幅に寺領を没収されるという羽目になったそうです…。

- 今回のまとめ -
信長の墓はただの供養塔を含めれば、全国に20ヶ所以上!
色んな伝説や口伝が残ってるけど、注目なのはやっぱり阿弥陀寺かも?

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この記事を書いた人

バリ島と日本で会社経営。脱サラ後30万円とPC1台を抱えバリ島へ→貧乏マーケター→美容&雑貨の貿易会社PT.Jepun設立→日本で化粧品販売会社『ピュアノーブル』設立、オーガニック化粧品ブランド『マザーウッドシリーズ』立ち上げ◀️今ココ◇趣味はバイクと筋トレ。お酒とお笑い番組と映画をこよなく愛します。
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