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織田信長の戦い方がスゴい!信長のズバ抜けた戦術と戦略とは

織田信長の戦い方がスゴい!信長のズバ抜けた戦術と戦略とは

今回のテーマは、織田信長の戦い方について!

「尾張の弱小大名が、どうして天下統一出来たの?」

「桶狭間の戦いや長篠の戦いでは、何であんなに圧勝できたの?」

なーんてお話!

この辺って、歴オタじゃなくても、けっこう興味しんしんじゃないですか?

そこで色々調べてみたら、信長のスゴさって、戦い方とか戦術とかにあるんじゃない気が…(汗)

今回は、その辺の謎に迫ってみたいと思います!

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ヨシ

4分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。


目次

織田信長の戦い方のスゴさはどこにある?

織田信長の戦い方のスゴさはどこにある?

信長の戦い方のスゴいところは、なんと言っても桁外れに合理的なところ!

まさに、性格どおりという感じでしょうか?

とにかく徹底的に敵の情報を集めて、敵の長所を無効化して欠点をつく!

そんな戦い方の典型パターンが、よく出ているのが次の2つの合戦です。

POINT! 
  1. 桶狭間の戦い
  2. 長篠の戦い

桶狭間の戦い

桶狭間の戦い

「桶狭間の戦い」と言えば、織田信長の名を天下に轟かせた合戦!

2万以上で押し寄せる今川義元の大軍に、信長軍がたった2千で奇襲をかけ、見事に打ち破ってしまいました。

兵力の差は実に10倍以上!普通に考えたら、絶望的な状況ですが…

信長は徹底的に今川軍の情報を集め、逆に自軍の作戦会議では何の指示も出さず、自軍の情報が漏れるのを防ぎました。

そして、別働隊で今川軍を撹乱・分散させながら、今川義元の本軍を孤立させます。

さらに、今川義元の本陣の正確な位置を常につかみ、暴風雨に紛れて一気に本陣を突きます。

まさに、敵の情報を徹底的に掴んで、大軍という長所を無効化して、大軍の油断という欠点をついた戦いと言えるのではないでしょうか?

長篠の戦い

長篠の戦い

「長篠の戦い」と言えば、信長と家康の連合軍が「鉄砲隊の三段撃ち」で、武田勝頼軍を殲滅した戦い!

なーんて思っている方も多いと思うのですが、じつはそれはウソ!

実際はもちろん、鉄砲がどうこうというのもありますが…

この合戦も信長の情報戦による調略が、武田軍を圧倒した!というのが本当のところなんです。

さてさてこんな風に、常に抜かりのない戦い方をしていた信長なのですが…

上杉謙信の書状によると、「織田軍は案外弱い(案外に手弱の様体)」なんて記述もあります。

コレって、本当なんでしょうか?

織田信長の3つの戦術

じつは、本当なんです!

信長の戦の勝率は、わずか6割~7割程度。

毛利元就や長宗我部元親、武田信玄や上杉謙信などの戦国武将の方が、よっぽど強く勝率も良かったんです。

それなのに、どうして天下統一が出来たのでしょうか?

じつは、そこに信長の3つの戦術があったのです!

信長の3つの戦術 
  1. 武器に工夫を凝らした
  2. ココぞという時には必ず勝つ
  3. 大軍による短期決戦

武器に工夫を凝らした

武器に工夫を凝らした

まずは信長は、武器に様々な工夫を凝らしました!

コレって、そこまで戦上手ではなかったからこそなんでしょうね。

例えば、当時の一般的な槍は約4.5m(二間半)が普通なのですが、信長軍は約5.4~6.3メートル(三間~三間半)を使っていました。

密集隊形の槍の突き合いでは、槍が長い方が圧倒的に有利です!

さらに信長は、国友や堺といった鉄砲の産地を直轄化することで、戦に大量の鉄砲を導入して行きます。

こうして信長は、「戦上手が勝つ」から「優秀な武器を持つ者が勝つ」という感じに、ロジックを変えてしまいました。

ココぞという時には必ず勝つ

ココぞという時には必ず勝つ

そして、こういった工夫を重ねることで、ココぞという時には必ず勝利をおさめています。

重大な局面で勝つことで、勝率の悪さをカバーする感じでしょうか?

信長は何かと陣頭指揮をとるのが好きなのですが、その辺もイザという時の強さに関わってそうですね。

大軍による短期決戦

さらに、これは後期にとくに顕著になるのですが、信長は敵の何倍もの兵力を使った短期決戦を好むようになります。

優秀な武器を持った大軍を一極集中させて、一気にカタをつけて、素早く撤退する!

この辺まで来ると、もはや王道というか、本当に隙のない戦い方ですよね?

織田信長の3つの戦略

さらに、そんな戦術を可能にするために、3つのユニークな戦略を実行していました。

信長の3つの戦略 
  1. 圧倒的な経済力
  2. 抜擢人事
  3. 京都に向けて本拠地を移動

圧倒的な経済力

圧倒的な経済力

大軍による短期決戦を実現するために、まずは大軍を養える圧倒的な経済力を築き上げました!

当時、日本の金融業や商工業、運輸業の総元締めだった比叡山延暦寺を徹底的に叩き。

楽市楽座で、特権的な大商人達の利権を破壊し。

各地の大きな商業都市をおさえて軍資金を献上させ、生野銀山などを直轄地にしています。

まさに、経済を制する者が戦を制し天下を制する!

この辺の戦略的な考え方は、信長が戦場で使っていた「永楽通宝」の旗印にもよく表われていますよね?

抜擢人事

そして、大軍を動かす将を得るため、身分を問わない能力本位の抜擢人事をします!

膨れ上がる大軍団を動かすためには、血筋やら出自にこだわっていたら間に合わないって事なんでしょうね。

優秀な者はどんどん取り立てて、要職につけて行きました。

京都に向けて本拠地を移動

京都に向けて本拠地を移動

さらに、名古屋から安土へと、京都へ向けて何度も本拠地を移動して行ったのも有名なお話!

コレはいつでも、天下統一を見据えていたという事でしょうね。

当時は普通の武将なら、根拠地をしっかり決めて根をおろし、戦の後も本拠地に戻るのが一般的でした。

ところが信長は、那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城という感じで、4回も本拠地を変えています。

そして、最終的には安土城で、京都まで早駆けで1日という距離まで進出!

この戦略が、天下統一の決定打になって行く訳ですね。

まとめ

さてさて「織田信長の戦い方がスゴい!」いかがでしたでしょうか?

こんな風に見てくると…

圧倒的な経済力と抜擢人事で、大軍団を作りあげて京都に迫る!

そういう長期的な戦略、そして情報収集能力が、信長の天下統一の原動力だった訳ですね。

そんな長期な視点に立てば、1回1回の戦の勝ち負けとか、勝率とかは確かにそこまで重要じゃないのかもしれませんね。

こういうのって、仕事や生き方のうえでも、大いにヒントになりそうですよね?

- 今回のまとめ -
織田信長の戦い方で一番スゴいのは、長期的な戦略と情報収集能力!
この辺が優れていれば、細かい戦術だのミスだのは、あんまり関係ないのかも?

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この記事を書いた人

バリ島と日本で会社経営。脱サラ後30万円とPC1台を抱えバリ島へ→貧乏マーケター→美容&雑貨の貿易会社PT.Jepun設立→日本で化粧品販売会社『ピュアノーブル』設立、オーガニック化粧品ブランド『マザーウッドシリーズ』立ち上げ◀️今ココ◇趣味はバイクと筋トレ。お酒とお笑い番組と映画をこよなく愛します。
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