今回は、西郷隆盛の家紋や先祖のお話!
以前このブログで、西郷さんに名前がたくさんあったのは、代々薩摩藩の忍者だったから。
なーんて記事を書いたと思います。
その中で、ずっと気になっていたのが、西郷さんの家系について!
「西郷さんは、どういう経緯で隠密になったんだ?」
「忍者ってことは、やっぱり先祖は神官?」
「どうして鹿児島で、あそこまで尊敬を集めていたんだ?」
なんて事なんです。
そこで、今回は!
家紋や系図を手がかりに、西郷隆盛の先祖のルーツを辿ってみたいと思います。
ヨシ
3分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
西郷隆盛の家紋と言えば南洲菊!
西郷隆盛の家紋と言えば、真っ先に思い浮かぶのが『南洲菊』!
この『抱き菊の葉に菊』の紋じゃないでしょうか?
じつはこの家紋!
明治天皇が自ら考案し、西郷さんに下賜したもの。
なんでも、西郷さんを菊の葉に見立て。
菊である天皇を、左右から支えて補佐するように!
そんな意味が、込められているんだとか。
でも!
西郷さんらしいのは、ここから。
こんなに有り難い家紋を、代々使うのは畏れ多い!
くれぐれも、自分一代しか使ってはならない!
そんな風に、家族にきつく言い渡したんだとか。
本当に、奥ゆかしい人柄ですね?
ではでは、そんな西郷さん!
南洲菊を頂く前は、どんな家紋を使っていたのでしょうか?
西郷がよく使っていたのは違い鷹の羽紋
じつは、西郷さんがよく使っていた家紋は、この『違い鷹の羽紋』!
有名なキヨッソーネの絵や、勝海舟の会見などでは『丸に十の字』をつけてますよね?
でも、あれは島津氏の家紋。
主家の御用で動く時には、『丸に十の字』を背負っていたようですが。
日常的には、『違い鷹の羽紋』使っていたようですね。
それでは、そんな『違い鷹の羽紋』の由来って?
鷹の羽紋の由来は先祖の菊池氏
じつは、西郷さんの本姓は菊池!
西郷さんと言えば、西郷吉之助隆盛という名前が有名ですよね?
でも本姓の菊池姓を使って…
菊池源吾や菊池三助という名前を、名乗っていたこともあったんです!
この菊池氏の家紋が、『鷹の羽紋』
『並び鷹の羽紋』や、西郷さんがよく使っていた『違い鷹の羽紋』って訳なんです。
ではでは今度は!
西郷さんの本姓である菊池氏を手がかりに、さかのぼって西郷さんの先祖のルーツを辿ってみましょう!
家紋が大きな手がかりになりますので、まずは家紋から…
菊池氏の裏紋は檜扇紋や八つ日足紋
家紋である『違い鷹の羽紋』から考えると、西郷さんのルーツは阿蘇神社の阿蘇氏あたり?
隠密の家系は、ほとんどが神官や聖職者の出身だし、なーんて見当つけていたのですが…。
系図を見ると、藤原北家の藤原(菊池)則隆が祖になっています。
「あれ?おかしいな?家紋と系図が合わないゾ!」
「どっちが、フェイクなんだ?」
なんて考えながら、菊池氏の家紋を、さらに遡って調べてみると…
『違い鷹の羽紋』を使い出す前に、『檜扇紋』と『八つ日足紋』を使っていたことが分かりました。
っということは…。
西郷隆盛の先祖のルーツって?
西郷さんや菊池氏は、藤原北家の藤原則隆を祖と称しているようですが…。
実際のところ、『日足紋』や『檜扇紋』を使う、安倍氏や紀氏の裔なのではないでしょうか?
つまり、豊国や東表国と呼ばれた安日彦王朝の流れ。
シリアのアルワード島からインドのアワド(コーサラ国)、そして九州へと辿り着いたあのエブス(エビス)王の一族!
東北の安倍氏や安東氏、秋田氏とともに、安日彦の裔なのでは?
もしそうであれば、サカ族(イッサカル族)王家と、対婚氏族である神官のレビ族の血を引いてるはず!
これなら、西郷さんが尊敬を集めていた意味も、代々隠密だった意味も分かるかも?
( ̄∇ ̄+) キラーンッ
西郷隆盛の家紋は、南洲菊と呼ばれる『抱き菊の葉に菊紋』と『違い鷹の羽紋』。
先祖のルーツは、一般的には藤原北家とされているけど、安倍氏や紀氏の流れではないか?
※名字を勝手に背乗って、安倍と名乗っている有名な政治家もいらっしゃるようですが…アレとは別系統の本物って意味です。