最近、古代史にガッツリとハマっています(笑)
中でも、縄文や天の王朝時代に日本を統治していたとされる、2つの部族の動きがめちゃくちゃ面白い!
つぶさに調べて行くと、アラ(アワ)族と呼ばれる太陽信仰族とナガ族と呼ばれる蛇信仰族が古くから共存していたようです。
そして、この2つの部族が、世界中に飛び地を作りながらオリエントに進出!
アラ族は、地中海を根拠地に、アラム=太陽族と名乗り
ナガ族は、ペルシャ湾を根拠地に、エラム(エラブ、イラブ)=海ヘビ族=海人族と名乗り
この2つの流れが、シュメール文明に繋がって行く訳ですね。
この辺の事は、今も地名や国名に、その名残りが残っています。
例えば、シリアにあるアルワード島は、旧名アラド島=太陽族の島という意味。
そして、イランという国名は、元々は海ヘビを表すイラブーだったという事です。
その後、この2部族が独占していた鉄器の製造法が世界中に漏れ、オリエントは戦乱に包まれてしまいます。
そしてこの戦乱を嫌った2部族とその派生部族が、祖国の日本に戻って来る訳です。
歴史では、ヒッタイト人にエブス人、ヒクソスにヘブライ人、ペルシャ人にトルコ人、朝鮮人や中国人あたりが次々に日本に入植したのでは?
なーんて事になっていますが、元を正せば多少混血してるでしょうが、飛び地を経由して来た日本人が出戻りして来たという事。
さてさて、ではアラ族とナガ族が、本拠地を日本のドコに置いたのか?
ちょっとピンと来ないですよね?
では、アワとナガならどうでしょう?
粟国と長国が隣り合っている場所と言えば、そう四国です!
これが、邪馬台国四国説に繋がって来る訳ですね。
そして、粟国の王は安日彦と呼ばれ、長国の王は長髄彦と呼ばれた訳です。
ちなみに、安日の「アピ」は、インドネシア語で火、「ナガ」は龍や蛇を表し、「ヒコ(ヘカウ、ヒク)」は、日本語でも古代のギリシャ語やエジプト語でも「王」を表します。
つまり、安日彦は太陽族の王、長髄彦は蛇族の王という事。
この辺の事は、どうやら四国を重点的に調べれば、まだまだ色々出て来そうですが、今日はとりあえず途中経過を忘備録として!
(*^^)v