このところ、バリ島やインドネシアのルーツを探していたら、倭人にたどり着きました。

そして、倭人の動きを辿って行ったら、ザックリとした移動ルートが分かって来たので、メモっておきたいと思います。


ちなみに、私は歴史学者でも何でもありませんし、歴史マニアでもありません!

目にされた方は、おとぎ話として聞いておいて頂ければ、幸いです。


昔々、日本の九州・沖縄辺りから、エラブ(永良部、伊良部)と呼ばれる海人族が、ペルシャ湾沿岸に住み着きました。

湾岸地方では、「エラム」と呼ばれたこの部族は、バビロニア地方に移住し、ウバイド人と混血しながらシュメール文明を築き。

イラクの原型となったウルク、ウルなどの都市国家群を建国し。

ペルシャのスサを中心にエラム帝国を築き、エラム人→イラン人となりました。


セム語圏の湾岸地方に、突如シュメール語やエラム語といった膠着語に属する孤立した言語を使う部族が現れ。

文字を操り、高度な文明を築いたのは、こういった事情があったようです。


エラム人達は、セム族と混血しながら西へ移動し、ヘブライ人やアラブ人の原型となるアラム人と呼ばれる部族に分かれて行きます。

このブログでもお馴染みの、エブス人やフェニキア人も「エラム」の一族です。


彼等「エラム」は、国家を築く際に、戦闘部族でもあるので、もちろん先住者と戦ったりしますが、最終的には先住者と「混血」し、労働者や奴隷として「統治」するという方法を採っていたようです。

つまり、農業、牧畜、手工業などの産業を振興させて、国家経済を回していく方法ですね。


ところが、これとは対照的に労働者階級が一切なく国民皆兵で、近隣国家に戦争を仕掛け、略奪を終えたら引き上げる!

そして、数年後、また略奪に来るといった感じで、「戦争」と「略奪」で国家経済を回していく部族がありました。

それが「アムル」と呼ばれる部族です。


この2つの部族は、お互いの性質を嫌悪し、「エラム」を「アビシニア=混血野郎」、「アムル」を「マルトゥ=野蛮人」と互いに罵り合っていたようです。


「アムル人」は、元々は「エラム」の傭兵などをしていたのですが、徐々にバビロニア地方に移住・進出し、ついにエラム系のウル第3王朝を倒し、アムル系イシン第1王朝を建国します。

その後、この2つの部族は、バビロニアの支配権を巡って、熾烈な争いを繰り広げます。


elam


そして、「アムル」系王朝の方は、その残虐さで歴史に名を残す事になります。

「目には目を」の同害復讐原理で有名な、ハムラビ王を輩出した、バビロン第一王朝。

そしてアッシリア王朝では、戦争捕虜になった「エラム」人の皮を剥いだり、串刺しにしたり、生きたまま火炙りにして処刑したり。

舌を引き抜いたり、片目を潰したり、去勢したりして労働に従事させていました。


これに対し「エラム」系の部族も、カッシート朝やカルデア朝などの王朝を立てて対抗し、ついには、アケメネス朝ペルシャで「アムル」人の駆逐に成功します。


そしてこの後、ペルシャ系以外の「エラム」族は、シルクロードを東遷して、中国・満州・朝鮮半島を経て、日本に戻ったり。

海路、インド・インドシナ・朝鮮半島を経て、九州・沖縄に戻って小国家群を作って行きます。

つまり、「エラム」が「エラブ」に戻った訳です。


ジャワ島の語源と日本の由来 >>

仏国記の耶婆提国と新唐書の多羅磨国について >>

ヤーヴァドヴィーバとアンガ国のルーツ >>



っとこんな感じで、「エラム」の出自やその後は明らかになったのですが、「アムル人」って一体何者なんでしょうか?


そこで、少し調べてみると、ロシアの「アムール川」流域に「アムール州」がありました。

住民はロシア人とウクライナ人が多いようです。


「アムール州」の右に隣接しているのが「ユダヤ自治州」、そこの住民も、やっぱりロシア人とウクライナ人が多いようです。


アムール州
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B7%9E

ユダヤ自治州
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%B7%9E



つまり。。。

アムル=アムール=アシュケナジー=ハザール=白色偽ユダヤ=ウクライナ=シオニスト=金融屋=戦争屋

。。。という感じでしょうか?


こうやってザックリと見てくると。。。

米国1%の金融屋&戦争屋=「アムル」が、イランを目の敵にし、イラクやシリアのなどバビロニア地方の占領にこだわり、日本に執着する理由が、歴史的な意味からも分かる気がします。


▼バリ島と日本のルーツ