インドの聖典リグ・ヴェーダに、十王戦争という古い戦いの記述があります。
一般的には、北部からインドに侵入して来た、アーリア人同士の内部抗争なんて言われています。
でも、よくよく調べていくと、どうも違うようなんです。
プール族って、本当にアーリア人?
当時インドでは、アーリア人のバラタ族とトリツ族が、急激に勢力を伸ばしていました。
ここに、同じアーリア人のプール族が、非アーリア系の9人の王と連合して戦いました。
《十王戦争=バラタ族 vs プール族》
十王戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
っと、これが十王戦争の概要ですが。。。思いっ切り引っかかりますよね?
「プール族は、何でアーリア人ではなく、わざわざ違う民族と組んだんだろう???」
バラタ族=アムル人
アーリア人と言えば、アッシリア人=アムル人です。
アムルの一部は、中央アジアや南ロシア辺りから、北上しバルト海沿岸に住み着いています。
つまり、《バラタ族=バルト海に居たアムル人》
プール族=エラム人
では、プール族は?
調べて行くと、「プール」は「フルリ」の転訛で、「プール族=フルリ人」って事のようです。
フルリ人と言えば、ミタンニやウラルトゥ、ヒッタイトなどの王族で、民族・系統は不明?
では、言語は?
フルリ人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AA%E4%BA%BA
フルリ・ウラルトゥ語という、系統不明の孤立した膠着語。。。
って事は、やっぱり!
《プール族=フルリ人=エラム人》って事!
まとめ
っとこんな感じで調べてみたら、十王戦争はアーリア人の部族間同士の争いではなく!
インドで、アムル人が多数のエラム人王国を倒し、覇権を確立した戦争だったようですね。