先日、親戚が集まっての飲みがありました。
その席で話題になったのが、ご先祖さんの風魔一族の話!
親戚
ヨシ!俺達のご先祖さん。
江戸時代に、盗賊になっちゃったって本当か?
いやいや、違うでしょ?
そんな事ないって!
ヨシ
親戚
だって、そう書いてあるぞ!
ココにも!ほら、ココにも!
いや、江戸時代は水戸藩の隠密してたって。
で、京都で歌を歌ってたんだよ!
ヨシ
親戚
ん?
水戸藩の隠密で、京都で歌?
全然意味分かんねーぞ。
・・・。
ヨシ
っという事で、今回は!
風魔小太郎の正体は?
江戸時代は、ドコで何をしてたの?なーんてお話!
3分ほどで読めちゃうと思います。
どうぞ、最後までお付き合いくださーい!
忍者のくせに盗賊してたって本当?
江戸時代の風魔一族について調べると、一番よく見かけるのがこんな話!
後北条氏が滅び江戸時代になると、風魔は主家を失い、平和になったため失業してしまう。
そして、食い詰めて、忍者から盗賊に落ちぶれて行く。
その後、江戸の町を、好き放題荒らしまわったあげく。
甲州透波の残党(武田氏の忍者)高坂甚内の密告で、幕府に本拠地を知られてしまう。
その結果、一族郎党、処刑されて全滅!なーんて話。
この話の、出どころは『慶長見聞集』という仮名草子!
なかなか、良く出来た話だと思うのですが、ほとんどデタラメだと思います。
だって!
江戸時代の風魔の本拠地は、今の柏市逆井!
その時代から平成まで、ボクらの一族は普通にそこで暮らしてますし、全滅なんてしてませんから(笑)
※参考
風魔小太郎 – Wikipedia
慶長見聞集 – Wikipedia
江戸時代は水戸藩の隠密だった!
さらに、もっと言ってしまえば、江戸時代に風魔一族が失業していたというのもデタラメ!
後北条氏が滅亡した後、今の柏市あたりは様々な領主が入り混じり「碁石まじリ」と呼ばれるような土地になっていました。
その中で、一番強い影響力を持っていたのは、じつは水戸藩!
当然の結果として、風魔一族は、水戸徳川家の隠密として働くようになっていました。
ただ、水戸藩の隠密をする際に、全滅したことにしといた方が動きやすいですよね?
そこで、仮名草子という出版物を使って、適当なカバーストーリーを流布した!っという訳。
江戸時代の風魔小太郎はドコで何をしてたの?正体は?
ではでは、風魔小太郎は水戸藩の隠密として、ドコで何をしていたのでしょうか?
じつは!
江戸時代の初期の頃は、おもに京都や名古屋で諜報活動をしていたんです!
京都の四条河原などの道端で、歌説経という、今でいうストリートミュージシャンのような事をしていました。
ただ、目的は歌を聞かせる事じゃなく、情報収集と歌語りによる情報操作だった訳ですね。
この時の、芸名は日暮小太夫(ひぐらしこだゆう)
日暮派という流派を作り、最後は人形劇や興行師のような真似までしていたようです。
ちなみに、日暮派の面々の得意な歌は、バラードだったそうです(笑)
※参考
歌説経(ウタセッキョウ)とは – コトバンク
日暮小太夫(ひぐらし こだゆう)とは – コトバンク
日暮派(ひぐらしは)とは – コトバンク
まとめ
さてさて、少し長くなったので、この辺でまとめます!
ウソ!
水戸藩の隠密として動きやすくするためのカバーストーリー!
ウソ!
平成まで本拠地の柏市逆井で暮らしてた!
初期は、京都を中心に諜報活動をしていた。
日暮小太夫という芸名で、ミュージシャンのフリをしていた。
風魔小太郎は、盗賊になってもいないし、一族全滅もしていなかった!
江戸時代の初期は、日暮小太夫という歌説経師のカバーで、京都を中心に諜報活動をしていた。