梶原氏の本当の歴史とルーツについて!子孫だから分かること

ボクの母方の姓は、梶原といいます。

梶原景時の乱で、一族は鎌倉から追われ、九州に逃げたと聞いています。

先祖の景時は、この時のゴタゴタのおかげで、『讒言魔』だの『傲慢』だの、『性格悪い』だの『僻み根性がスゴイ』だの・・・

まあ、散々な悪評を立てられ、歴史や歌舞伎の世界では、天下の大悪人として描かれる事が多いんですよね(汗)


なんだかモヤモヤするので、本当の歴史やルーツを調べてみたら・・・

ご先祖さん達から『誇りを持って生きろ!』との熱いエールを、ガッツリ受け取った気がします。

そこで!
先祖の雪辱を晴らす意味も含めまして、シェアしたいと思います!

歴史や歌舞伎を見て、悔しい思いをしていた全国の梶原さんはとくに、じっくり読んで頂けたら嬉しいです。


梶原氏の祖は誰?

まずは、わりと一般的なところから!

初代の梶原氏は誰?というお話。

梶原氏の祖は、桓武平氏の流れを汲む鎌倉景久という武士。

平安時代末期、景久が鎌倉の梶原村に住み、梶原氏を名乗った事が始まりです。

名前のルーツは?

梶原山公園から見た相模湾
梶原山公園から見た相模湾

梶原氏の名前のルーツは、桓武平氏の祖である葛原親王にあります。

かつて、鎌倉の丘陵地に葛原親王を祀るお社があり、そこは今でも葛原岡と呼ばれています。

ちなみに!
親王の名前は『くずはら』と読むのではなく、『かずらわら』と読みます。

その後、そのあたりの住所が、鎌倉郡梶原村になりました。

つまり、葛原(かずらわら)→梶原(かじわら)という事!

鎌倉景久は、自分の先祖を祀った土地に腰を落ち着けて、先祖に因んだ姓を名乗った訳ですね。

葛原親王のさらに前のルーツは?

ではでは、葛原親王のさらにその前のルーツを遡ると、どうなるの?

葛原親王の父は、桓武天皇。

母は、多治比真宗。

多治比氏は、安羅(倭国)王族。

安羅王のさらなるルーツを遡ると、サカ族とヒッタイトの王族出身です。


日本からオリエントに進出した倭人で、オリエント統治時代は『タージ』『ターイ』(王冠・王族)と呼ばれていました。

それで、子孫はタージ=多治比(タジヒ)を名乗り、さらに桓武平氏としてターイ=平(タイラ)を名乗っている訳ですね。

梶原氏が『景』の通字を伝える理由

チャリオット
ヒッタイトのチャリオット

梶原氏や鎌倉氏など、鎌倉党の名前をみると、しつこいほどみんな『景』の通字がついてますよね?

こういうのって、たいてい子孫に伝えたいアナグラムになってるんです。

で、それを読み解いて行くと、梶原氏の場合・・・

鎌倉章名まで遡ったところで、案外ハッキリ分かります。

鎌倉章名が、丸子公景の娘と結婚して生まれたのが、景通、景村、景成など。

以降、『景』の通字が始まる訳です。

つまり、丸子氏の流れだぞ!って言いたい訳ですね?


ではでは、丸子氏の先祖は誰かって言うと、『大伴氏』。

大伴氏は多治比氏と同じ、安羅(倭国)王族。

つまり、お前の先祖は、安羅・倭国系だ!って子孫に伝えたいという事なんでしょうね。

梶原氏の丸に並び矢の家紋が伝えたいことは?

丸に並び矢
丸に並び矢

梶原氏の家紋と言えば、丸に並び矢です。

この家紋の意味はというと・・・

家紋に詳しい方ならすぐに分かると思うのですが、全く同じ家紋を使っているのが服部氏!

服部氏といえば、秦氏の末裔です。

秦氏のルーツは、ハッティ=ヒッタイトですよね?

ヒッタイトで一番有名な大王の名前の「ハットゥシリ」が、「ハットリ」になった訳です。

話がちょっとそれましたが、つまり何が言いたいかというと・・・

丸に並び矢の家紋で子孫に伝承したいことは、お前の先祖はヒッタイトだぞ!って事。

まとめ

さてさて、少し長くなりましたので、この辺でまとめます。

梶原のご先祖さんが、きっと伝えたかった事!は・・・

梶原は、政争で破れてしまった。

そのせいで、『讒言魔』だの『傲慢』だの『性格悪い』だの『僻み根性がスゴイ』だの散々言われるだろう。

でも!
遡れば、倭国・安羅・サカ族・ヒッタイトとして、世界中で活躍していたんだぞ!

誇りを持って生きろ!

ボクはこんな感じで受け取ったのですが、全国の梶原さんいかがでしょうか?


ヨシ
ヨシ
- 今回のまとめ -
梶原=葛原=桓武平氏=多治比氏
『景』の通字→梶原氏=丸子氏=大伴氏
梶原氏=安羅・倭国系=サカ族×ヒッタイト

この記事もあわせて読みたい↓